代表挨拶
日本白猿通背拳研究会の石川です。
私は18歳の時に功賀武術会に入会し、中国武術を習い始めました。
そして20歳の時、功賀武術会の代表である青木先生のご尽力により、張貴増老師から白猿通背拳を学ぶ機会を得ました。
中国武術を学ぶ、ということは、中国の文化を学ぶ、ということでもあります。
中国武術には、日本人には思いつかないような、中国人ならではの発想がたくさん散りばめられています。
白猿通背拳は中国少数民族である回族の門外不出の武術であり、外部の人が学べる環境にはありませんでした。その秘せられた門を開いたのが、張貴増老師です。残念ながら先年、張貴増老師は亡くなられました。しかし、老師が門戸を開いてくれた白猿通背拳は、今もこうして我々が受け継いでいます。
この貴重な武術、白猿通背拳を継承し、発展させ広めていくことが我々残された者たちの使命であると考えております。
中国屈指の実戦武術である白猿通背拳を通じて、ぜひ中国の異文化に触れてみてください。
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張貴増老師の訃報に際して作った、自作の漢詩をここに捧げます。
「師を悼み、北京牛街を訪ふ」
俄聞 訃報 哭訪燕
隘路 朝来 新緑鮮
廿載 無功 如夢去
更高 己武 志逾堅
「書き下し文」
俄(にわか)に訃報を聞き 哭して燕を訪ふ
隘路 朝来 新緑鮮やかなり
廿載(じゅうさい) 功無く 夢の如く去る
更に己の武を高めんと 志逾(いよいよ)堅くす
「意訳」
武術の師の訃報を聞き、慟哭して北京を訪れた
北京牛街の隘路に朝日が差して新緑が鮮やかである
武功もなく、二十年が夢の如く去っていった
更に自分の武術を高めていこうと、志をいっそう堅くする
※ 燕は燕京のことで、北京を指す。
※ 北京を訪れることができたのは5月、新緑の季節だった。
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【代表略歴】
1979年生まれ。
大学進学にともない上京、功賀武術会へ入会。
功賀武術会 代表 青木先生より通背拳などを学ぶ。
中国、北京にて、張貴増 老師に白猿通背拳の指導を受ける。
中国、瀋陽にて、鄭剣鋒 老師に祁氏五行通背拳小架式の指導を受ける。
2015年8月、功賀武術会本部の許可を得て功賀武術会 中四国支部を設立。
2017年8月、白猿通背拳の普及と研究のため、日本白猿通背拳研究会を設立。
中国古典に通じ、中国春秋戦国時代の法家「韓非子」の研究も行っている。
韓非子を読む 主宰
第二十四号 論語指導士(論語教育普及機構認定)
令和元年12月1日に開催された、第二回日本徳島国際武術交流大会に参加しました。
表演種目
・祁氏通背拳 奇形掌
・白猿通背拳 欺離棒
お陰さまで、通背拳、欺離棒ともに、1位、金メダルをいただきました。
功賀武術会は、中国伝統武術を研究する目的で、1987年に後に当会主宰者に就任する青木嘉教氏 他4名で設立された。
会発足当初は、参加者各自の相互研究を目的としており、そのため参加者はそれぞれが何らかの武術を学んでいた。
後年になり、青木嘉教氏が功賀武術会主宰者に就任。
就任後、氏独自の尽力により、本場の中国国内において中国伝統武術を習得できる現地パイプを持つに至る。
山形で本格中国武術を学べます。
形意拳、蟷螂拳、陳式太極拳の3門をメインに教授しております。希少門派もあります。
基本功より初めて拳法、剣、流星錘などの武器も学べます。