祁氏五行通背拳小架式は、鞭のように全身をしならせ、怒涛のスピードと手数で相手を翻弄する、実戦性の非常に高い武術である。
修剣痴(しゅけんち)の伝えた通背拳は、その内容が豊富な事と、理論によって整理されている点にある。
修剣痴は、それまでの通背拳を元にし、更に他派の武術をも研究し、内容を発展させていった。
多くの套路や兵器法を編み出しただけでなく、内容を整理し学ぶカリキュラムを整え、簡から難へと段階を追って学ぶことができる。
その技法は、細密であり、柔軟で変化に富み、複雑である。
祁氏五行通背拳小架式の基本となる、五つの重要な技法である。
腕を鞭のようにしならせ、手の甲を前方へ放り投げるように打つ。
腕を鞭のようにしならせ、掌を前方へ投げるように打つ。
掌の指先で鋭く前方を突く。
掌を上から下に打ち下ろす。
拳を鋭く突き込む。
参考:読み方
摔(しゅつ)、拍(はく)、穿(せん)、劈(へき)、鑚(さん)
五行掌や基本手法などを習得した後、初級套路として一字連撃などを学び、本格的な套路へと進んでいく。
練習用の套路として最も採用されている套路に、三十六手などがある。
「祁氏五行通背拳小架式」の歴史は、清朝乾隆年間の時代に浙江省の人である祁信によって、始められた。
祁信は、河北省にて五行通背拳を学び、「祁家門」として伝えた。
祁信の子である祁太昌は、父より受け継いだ武術を動作を小さくまとめ、柔軟な技法へと発展させた。そのため、祁信の伝を老架式として、また、祁太昌の伝を小架式として区別するようになった。
その後、祁太昌から許天和、そして修剣痴へとその伝は受け継がれていった。
修剣痴は、通背拳の他に形意拳や八卦掌等の武術も研究し、通背拳に取り入れ内容を発展させた。
それまでは、明堂功や折拳といった少数の套路と、散在していた各種の技法や練功法を、修剣痴は理論立ててまとめあげ、さらに多くの套路も新たに編纂した。
修剣痴は、初期に瀋陽で教えており、この時の高弟に王嘉義がいる。
そして、王嘉義の伝は鄭剣鋒老師に伝えられた。
その他にも、瀋陽や大連で多くの弟子を育て、東北一帯に通背拳を広めた。