【特集】伝統武術における「実戦」とは?

我々は中国伝統武術を看板に掲げて会を運営している。

その中で出てくるキーワード「実戦」という言葉について考察してみた。

我々伝統武術を学ぶ者にとっての「実戦」とは何を指すのであろうか。

どういう状態が実戦的であるのか。

 

「実戦」という言葉を出すと、すぐに

・路上で喧嘩する

・格闘技のリングに上がって戦う

・武術家同士で決闘や試合をする

・とにかく目の前の相手を倒す

などというような言葉が返ってくる。

 

はっきり言って、それらはどれも極論である。

 

路上で喧嘩したり、武術家同士で決闘したり、などというのは、現代社会に適さない。ただの傷害事件でしかない。我々は傷害事件を起こすために武術を学んでいるのではない。

 

では、格闘技か、というと、それも違う。格闘技の試合に出たいのならば、格闘技の教室に通って正しい訓練を受ければ良い。中国武術である理由が無い。

 

我々は勝ち負けを決めるために武術を学んでいるわけでは無い。勝ち負けを決めたいのであれば、他に決める方法はいくらでもある。また、誰かに点数をつけて評価して欲しいわけでも無い。

 

では、中国武術であることの理由とは、何だろうか。

 

 

当会の場合、白猿通背拳という、中国北京牛街の少数民族である回族の間で、秘かに受け継がれてきた伝統武術を学んでいる。

この白猿通背拳は回族の門外不出の武術であり、外部の人が学べる環境にはなかった。その秘せられた門を開いたのが、張貴増老師であり、それを日本へと伝えたのが、私の師である功賀武術会の青木先生である。

 

中国武術を学ぶ、ということは、中国の文化を学ぶ、ということでもあり、その中国武術の中には、我々日本人には思いつかないような、中国人ならではの発想がたくさん散りばめられている。

白猿通背拳は素朴な武術であり、高い実戦性を持っている。

その中国屈指の実戦武術である白猿通背拳を通じて、中国の異文化を学び、その技術を身につけていこう、というのが当会の目的である。

 

 

我々がここで言う「実戦」とは、つまりこういうことだ。

 

何代にもわたって継承されてきた伝統ある武術を学び、その文化や思考を理解し、その身法や技術を身につけ、様々な場面で、そのまま、もしくは応用し、最大限の威力や効果を以て、相手に有効に技を決められるようにすること。

 

 

そのために段階を追って練習をしていく。

 

 

基礎だけやっていれば良いわけでもないし、套路だけやっていれば良いわけでもない。

徒手だけやっていれば良いわけでもないし、武器だけやっていれば良いわけでもない。

単操や打袋やっていれば良いわけでもないし、対練や散打だけやっていれば良いわけでもない。

全てをバランス良く行うことが求められる。これら全てが武術の要素であり、その総合力が求められるのである。

 

基本功、套路、打袋、対練、散打、兵器(武器)と、様々な練習を段階的に行う。

基本を学び、套路を覚え、それらを通して、その身法や技術を身につけ、威力を高め、実際に相手にその技をかける。

ひとつの門派の、それら文化、思考、技術などを追求し、理解し、身につけていく。

その時には失敗したとしても、常に問題意識を持って何度も何度も繰り返し取り組むことで、次は今よりもうまくいくようになる。

 

 

 

こうして同じ志を持った仲間たちと共に日々の研鑽に励み、より武術の高みを目指していくのである。

中国の先人たちが試行錯誤し、継承させてきた武術。

時には己の身を守るため、仲間や家族を守るため、それぞれが様々な理由で他者と争い、用いられてきた技術。

それは、彼ら偉大な先人たちの生きた証そのものであり、彼らの歴史そのものである。

 

我々はそれをこの異国の地、日本でも身につけ、受け継いでゆき、後の世に残していく使命を持っていると言っても過言ではない。

そしてその長い歴史の中に、我々自身の歴史もまた刻まれていっていることを自覚し、日々の鍛錬を怠ってはならないのである。

そこに勝ち負けなどは無い。あるのは己との戦いのみである。

その武術が身について使えるようになるまで努力し続けるか、途中で諦めるか、いずれかである。

 

 

当然、我々も武術のみで生きているわけではない。仕事もあれば、遊びも必要だ。家族や友人との時間も大切にしなければならない。その中で、どう武術に向き合うか、は、その人自身が決めなければならない。

我々のような伝統武術を学ぶ会は、武術とはかくあるべき、という信念は持ちつつも、世の中の風潮や変化を機敏に感じ取り、それぞれの学習者に適したカリキュラムを組んでいき、学習者の成長を促していく役割を担い、この素晴らしい伝統武術を次の世代に伝えていくべきである。