北京牛街の白猿通背拳の初代は马晓合1人ですが、
2代目は王贵祥、张少三、候希荣の3人、
3代目は杭玉成、白永祥、王启成、王永凤、王玉昆、张文斌、冯玉山の7人(これに马锁、马士才、沙林を加えて10人とする資料もある)、
そして4代目は、张贵增、胡绍光ら15人(別の資料では24人)、
5代目に至っては张信斌、刘跃茂、白宝元、陈连凯、蔡立民、石永合、于少毅、杨红亮、王国良、邓长虹、程杰、林广亮、付巍、张斌など、100人ほどはいるでしょうか。
6代目も周玉江らが出てきています。
我々は4代目の张贵增門下なので5代目にあたります。ちなみに张贵增門下に名を連ねた日本人は十数名いますが、現在も白猿通背拳を専門的に学び、続けている人はごく僅かです。
聞くところによると、2代目のときに初代から受け継いだ白猿通背拳に摔跤の技術が多く取り込まれていったそうです。
その後、3代目へと受け継がれると、誰それはこの技術を、誰それはこの技術を、といったように、人によって伝わっているものがバラバラで、誰が何の技術を知っているのか分からなくなっていたそうです。
そこで、4代目の张贵增、胡绍光らが師である3代目をそれぞれ訪ねて回り、それらをまとめて体系化しました。
それが現在の我々に伝わっている白猿通背拳です。
基本功、単操、徒手套路、兵器套路、打袋、対練など、多岐にわたる技術体系を学んでゆきます。先人たちが何代にも渡って苦労して作り上げてきたこの伝統という縦軸を、白猿通背門下のひとりとして受け継いでいく。
そういう心構えが大事です。
上記の表は、初代の馬曉合から第四代までを掲載。
張貴増老師は第四代伝人である。
第五代以降には、張斌、張信斌、於少毅、青木嘉教など、多数。